7.25.2009

Tameno

近頃、野球の練習ばかりをしている。
ひじの痛みがとれなくて毎回アイシングを施すほどに、練習ばかりをしている。
今朝も近所のグランドで友人2人と練習。
明日も朝から練習。
試合はたぶんやらないだろう。練習のための練習をしているのだから。
中学と高校の部活の時、よく顧問の先生から「練習のための練習をするな」と一方的に怒鳴られた。
その意味がよくわからなかった。何のための練習かもわからずに、ただただ毎日走っていた。
だからあえて、「練習のための練習」を意図的にやってやろうと思っている。
何かを超えれるような気がするからだ。
練習の意味は、結局わからないんだけど。


隣には、60歳くらいの初老の男性が黙々と壁に向かってピッチングをしていた。
しかも裸足で、僕らが練習をしている2時間かそこら中、無心で投げていた。

「俺らの40年後が、あれだぜ」
と友人の一人はつぶやいた。
練習のための練習をやり続けた果ての姿を見た。

あんまり熱中過ぎたらとりかえしのつかないことになるぞ、とその時の僕は思った。

7.24.2009

Hole

友人のU君の誕生日。
M君も誘ってお気に入りのラーメン屋に行こうとする。
すると仕事終わりのT君もラーメン屋に向かうから一緒に食べようということになる。
僕ら3人は一足先に着いた。T君がなかなか来ない。
我慢できないのでT君の到着を待たずに店に入ってラーメンを食べる。
食べ終わってまさに会計をしようとした時にT君が到着。お店の外で「ごめん」と謝ったが、友達思いのT君は残念そうに一人でお店に入った。

さすがにT君がかわいそうだったので、僕ら3人は先に帰ると見せかけて、T君を喜ばすために、店の陰に隠れてT君が出てくるのを待つ。
T君の後ろ姿が店のガラス越しに見える。あんなにおいしいラーメンがなぜかまずそうだった。

T君が出て来た。隠れていたU君はカメラのフラッシュをたいてT君を驚かせた。するとT君は怒り、U君に殴り掛かる。U君も応戦。ラーメン屋の前でつかみ合っての乱闘が始まった。
収拾がつかなかったので、4人でドライブへ行った。
真っ暗な山の奥まで車を走らせて、摂津峡という渓流を4人で歩いた。

眠たくなるまで歩いたので、もう二人とも喧嘩のことは忘れていたようだ。
解散する直前に、T君は、U君に誕生日プレゼントとして持ってきていたオナホールを渡した。T君は信長書店でオナホールを買ってからラーメン屋に来たから遅くなったと言った。少し間があいて、U君は左手にオナホールを握りしめ、右手でT君に握手を求めた。T君は両手でがっしりと、U君のオナホールを握っていない、右手を握りしめた。

午前1時過ぎ。二人とも、握ったその手を離さなかった。
M君は、立ったまま眠っていた。

7.22.2009

Shisyo

朝、カラテの師匠が家に来る。今日は僕の部屋までは来ず、玄関のガラス戸の向こうに大袈裟に張り付いて待機するという奇抜なアイデアで僕を笑わそうとしていたらしいが、ちょうど母親の出勤時間だったので、母親を大層驚かせてしまったようだ。そして僕は母親の声を聞いて、「それ、師匠が来たぞ!」と思った。

以前、組み手中に僕がヒートアップし、それに乗っかってヒートアップした師匠のハイキックが僕の首もとに入ったことがきっかけで、カラテの練習はあまりやっていない。


朝から何をしているかというと、もっぱらキャッチボールをしている。今日は途中からかなり強めの雨が降っていたので、僕は「止めたいんだが、どうだろうか」と師匠に打診する。しかし師匠は「誰もやらないことこそ、やるんだよ」というような事を唇を振るわせながら言う。どうしても帰りたかったので、僕は腹痛を訴えてみると、なんとか帰らせてくれた。

僕は帰ってすぐにトイレにいくふりをして、シャワーを浴びる。風呂場から上がって、クーラーの効いた部屋でのんきにタバコを吸う。すでに帰ってきてから40分は経とうとしていた。
何か、師匠がしびれを切らしたように、「あの、一時中断ということだよね。君、シャワー浴びてたよね。」と、いくつかの確認をしてきた。
師匠は僕がトイレに行ってる間、シャツを乾かしながらシャドーピッチングをして、体が冷えないようにしていたようだ。
またハイキックをくらうとたまらないので、「ごめんなさい、今日はお腹が痛いので、もうできません」と嘘を言った。
「そうか、まだ投げたいんだけどな」と師匠は寂しそうに言って帰ろうとした。シャツがまだ乾いてないようだったので、僕のB.V.Dの肌シャツを渡すと、「これ、めっちゃええやつやないか!」と喜んで帰っていった。


昼過ぎ、僕が雑誌のインタビューを録音したものを文字に起していたら、師匠がやってくる。「お弁当があるから、食べていっていい?」と聞くので、若干邪魔くさそうに僕は「いいよ」と答える。
師匠は僕の背中に色々と喋りかけてきたが、3回に1回は聞こえないふりをした。
知らない間に師匠はいなくなっていた。

夕方、師匠がまた来る。今度は「薬、飲んでいい?」と聞く。それは昼食後に飲むやつだったのに、忘れていたのだろう。僕は「いいよ」と答える。そしてすぐに帰っていった。


夜、帰宅した母親が、「師匠、今日は張り付いてたよ」と、僕に報告する。
僕は、「は虫類みたいに言わんといてくれ」と返した。

7.20.2009

Days

■  雑誌の第二弾が8月に発行を控えている。創刊号のように何にもない素人へのインタビューと、近所の素人が勝手に文章を書いたり、紙の上で遊んだりするだけの構成。前回の反省を踏まえつつ、でも僕が勝手に作るものだから、反省もくそもないと思いつつ、ちょっとずつ進めている。

■  インタビューは、インタビュアーもカメラマンも友人にやってもらっている。何故なら、そこを自分がやってしまうと、消耗度合いが激しくなるから。それに、僕はそんなにアドリブが効かないから。話を聞いてるだけでも疲れるし、いろいろとスケジュールの調整をしてるだけでも吐きそうになる。でも録音した話を聞くのがおもしろくて仕方ない。

■  文章を書いてもらう前は、綿密に打ち合わせをする。執筆に取りかかる前の、アイデア出しをしている段階が一番楽しい。みんなスペシャリストではないので、アイデアの段階と結果的に出来上がる文章との差が出てしまうけど、僕は十分楽しめてるからそれでいい。

■  とはいいつつも、「練習のための練習をする」草野球をやったり、「今日をこのまま終わることができない」と嘆く友人をドライブに連れていったり、うまいラーメン屋が開いてるかどうかを毎日チェックしたり、そんなしょうもないことばかりの毎日。しょうもなくてもいいんだよ!
「自分がおもしろいと信じることをやり続ければ、少しは世界が平和になることに何か関係してるんじゃないか」と友人が何の気無しに言っていた。関係性はほぼ無いんだけど、ほぼ無いからこそやっていかないといけない。

IMG_1741
「この夏は野球に捧げる!」と25歳にもなって平気で言う人が多い。

IMG_1781
ダウナーな人達との会話から学ぶことは多い。

7.16.2009

Niwa

実家の庭の木々が伐採されてから一週間程経った。
母親が適当に植木屋を呼んだら、所謂植木職人が庭をデザインするタイプのやつじゃなしに、若いバイトのお兄ちゃんみたいなんが3人くらい来て、庭を伐採するタイプのやつだった。だから、以前は荒々しく、神々しく緑で生い茂っていた庭も、まさに「夢のあと」と言わんばかりにはげ上がってしまった。

昔からの近所の友人達は、アイデンティティが失われたと口々に言った。僕自身のアイデンティティはもとより、近隣住民のアイデンティティでさえもあったのだ、あの荒々しく、手入れの行き届いてない庭は。
僕の家の前を毎日通る人々は、言ってみれば急に坊主頭にしたやんちゃを学校で発見した時のような顔で「さっぱりしたねぇ」なんて言う。そして僕も、坊主にしたやんちゃのごとく「えへへー」と答える。

庭の生態系にとっては大ダメージだったらしく、あきらかに家の中に侵入してくる蟻の数が突然増え始めた。
変わったことはその位なんだけど、少し寂しさも残る。
周りはしょうもない奇麗な建て売り住宅と、取って付けたようなしょうもない中庭がついてる、みたいな、そんなんばっかりになっている。その中で、ジャングルのように、無法地帯的にほったらかされてる伸び放題のあの庭は、この地域には存在価値があったはずだったんだけどな。もう再生はしないだろうけど、またどっかの山から土ごと持ってきてやろうと思っている。おじいちゃんがしてたように。

7.14.2009

Since1984

クラスTシャツ職人の工房を訪ねる。
ほんとにマンションの一室で、細々と作っていた模様。
「入院のため、一ヶ月お休みします」と書かれた張り紙があったが、それは嘘だ。今月末に工房は無くなる。

考えてみれば、Tシャツに愛着を持っていた人も、それが誰によって作られたかはわからない。職人はそれでいいんだろうけども、個人で営業している職人なんかは、おそらく、誰に知られることもなくひっそりと引退していくのだろうか。

張り紙の横に、「since1984」と書かれた看板を見つける。これでいよいよ「お疲れさん」では済まされないな、と思った。
何ができるかわからないけど、月末までに職人の最期の花道を飾らないといけなくなった。

正直な話、僕はその職人の顔を見た事もない。職人も僕を見た事もない。
「印刷職人」にはぴったりな感じもする。
このナンセンスさがたまらないな。

7.13.2009

Pron

人生2回目の草野球は、高校時代同級生だった野球部連中のチームへの人数合わせ。
前日はそのチームのキャプテンの家にお泊まり。

真夜中のケーブルテレビの「旅チャンネル」の「美女と湯けむり」に衝撃を受ける。
なんだか冴えないB級の女が温泉地を紹介するだけのよくあるフォーマットの番組だったが、女が温泉に浸かるシーンで、おっぱいがポローンしている。ただそれだけの番組だったけど、あの何気なくおっぱいポローンしてるのが良いらしく、DVDまで発売されてる。

肝心の試合の方は、またもや一打席目に奇跡的にヒットを打てたものの、二打席目には人生初の変化球で翻弄される。さすがにバリバリの元・高校球児の中では置き去りにされた。

そして最終回にライトの僕の所に打球が飛んできて、ポローンしてしまい、それがきっかけで負けてしまった。
試合後に、「前ちゃんのせいで負けたなぁ」と冗談を言われたので、「わかった今日の負けは俺が背負ったるから安心してくれ!」と大声で冗談を言うと、「今日のって、次も来るみたいな言い方すんなや」って言われた。もう誘ってもらえないということだろう。

涙もポローンした。

7.09.2009

KuraT

高校生の頃、ほぼ全部のクラスが必ず「クラスTシャツ」を作っていたんだけど、あればっかりをどさーっと集めて眺めたらおもしろいだろうなと思っている。
なんというか、30人前後のクラスメイツしか着れないし、デザインとかもそのクラスメイツにしか通用しないもの。ド素人の高校生がクラスメイツだけを意識して作るもんだから、なんでもありになるのは必然。クラスによっては、明らかに義務的な作りもあるし、凝り過ぎてて気持ち悪いのもある。でも、クラス全員が着るための、意味のあるもの。

内輪ウケっていうのは忌避されやすいんだけども、僕は最近、外輪ウケ過ぎるのよりは振り切れた内輪ウケのほうがおもしろいと思っている。だから、いわゆるプロが作った立派なTシャツよりよっぽど好きだな。


というのも、母校のクラスTシャツを独占的に引き受けていたお店の職人さんが高齢で廃業するという話があり、僕のようにクラスTシャツが好きな昔の恩師が、職人の最期を飾ってやりたい、なんていうものだから、何か考えているんだけども。

しかし、僕は母校や同窓会との繋がりが皆無といえるし、恩師もカクカクシカジカで母校を左遷されているという現状。
個人的に「お疲れさん」を言いにいくくらいしかできないのだけども。

だから、お金のある人は「クラスTシャツ大全」みたいなものを作ってください。

7.08.2009

Genkan karate

karate1

karate3

karate2

玄関カラテ。
朝と夕方、玄関カラテの師匠が必ずいる。
彼は、心をアッパーにする薬(処方されたもの)を飲んでる時、カメラの前でも玄関カラテの演舞を披露してくれる。
毎日アッパーだから、朝の4:30に起こしに来てくれる。僕のことを「紫電改のタカ」と思い込んでいて、「起きるんだ、タカ」と耳元で言う。

僕は心をアッパーにする薬を飲んでないから、すぐに起きれないし、まだ玄関カラテだってできない。

7.02.2009

Iyoiyo

ずっと専門学校に在籍しつつも、行っていなかった友人がいた。
理由はいろいろあったんだろうけど、とにかく行きたくないとと言っていた。僕と同じ歳。

その彼が、昨日から始まったバイトで「リーダーシップを発揮できたこと」がきっかけで、学校に行くと言い出して、今日の朝報告しにきた。「これで学校にも行けたら人生バラ色やと思ってん」と彼は息巻く。

そのバイトはプールの監視員なんだけど。

なんだかバカバカしい話だし、今までは「行きたくない学校なんか辞めてまえ」って僕は彼に言ってたんだけど、なんかそのきっかけとモチベーションの結びつけ方は嫌いじゃない。

プールの監視員がどうやってリーダーシップを発揮するのか。
そんなことはどうでもよくて、彼にどんな人生が待ってるのかどうかも知らないんだけど、そういう人間からは学ぶことが多い。


かくいう僕は、いよいよ家の庭を伐採しにきた「自称・庭師」と共に今日という一日を過ごすことになる。

7.01.2009

Men

近所に奇跡のようにおいしいとんこつラーメンの店がある。
九州でも、東京でもがっつり対抗てきるほどの味だと僕は自負している。

ただし、ネックなのが、一週間のうちに3日ほどしか開いてる日がないこと。そしてその3日は非常にランダムで、誰にもわからないこと。だからどうしても食べたくなって行ってみたら閉まっている、というようなことが頻繁にある。僕と同じようにそのラーメンに中毒症状になってる友人は、雨の中を原付で40分かけて行ったが閉まっていて涙を飲んだ。

僕は昨日、朝の11時に訪れた。また閉まっていたが、厨房側の小窓が開いていた。大将の姿がちらりと見えたので、思い切って聞いてみた。「今日はやらないんですか!」と。

すると大将は叫んだ。「12時にならんとわからん!」

スープにこだわりがあるということは前から聞いていた。要はこういうことなんだ。毎日、スープの仕上がりが12時の段階で、大将自身が納得いくかいかないかが、開店するかしないかに繋がっているというわけだ。

「12時にならんとわからん!」

まるで草野球の試合が天気に左右されるような言い方だった。

まだまだおもしろい人は潜んでいる。
こういう人を探していかないと。

僕は大将に「ありがとう!」と言って帰った。
その日は12時から開店していた。