11.30.2010

Chinko simulation

去年の夏頃だったか、橋ロシア君(仮名)という友人が実家の横にある僕のおじいちゃん所有のアパートに住みたいと言いだした。


2階建てで全部で7部屋ある築40年の風呂無しアパートは、その内2部屋が完全な空き部屋となっていて、2部屋が夜逃げ同然で数年間放置されたまま、1部屋は僕の死んだ父親の遺品やら保管癖のあるおじいちゃんの捨てられない品物を収納する物置部屋となっている状態だった。ちゃんと住人がいるのは2部屋で、1階に寿司屋をやってる初老の男性2人が同居していて、2階には父1人母1人娘1人の家族が住んでいた。

僕は大学に入るまでこのアパートがある隣の一軒家で生活していたにも関わらず、アパートにどんな人が住んでいるかも知らなかったし、住人と触れ合う機会も一切なかった。たまに2階に住む家族の部屋から癇癪持ちの父親の叫び声が聞こえることと、その家族の精神障害者である母親が涎を垂らしながら実家の玄関に何時間も立っていたことと、たまに寿司屋の男性が家賃滞納の罪滅ぼしとしておじいちゃんに寿司をタダで配達していた様子を日常の一コマとして記憶していたくらいか。他にもたぶん、過去の住人の姿も見ていたはずだが、一切記憶には無い。

おじいちゃんが心筋梗塞で倒れ、入退院を繰り返した末に老人施設に入所して以来、とりあえず住人から手渡しされる家賃を記録して管理することが僕の役割になった。記録といっても、こちらと住人側が持つ薄汚れた紙切れに家賃を支払った日付と印鑑を記すだけのこと。月に一度、それも決まった日ではなく、なんとなく月末か月初に、実家の玄関先に住人が現れ、家賃を受け取る。何か世間話をするわけでもなく、一瞬の行い。それでも面倒ではあった。二階の家族はあからさまに紙切れを偽造し、払ってない家賃を払ったことにするし、一階の寿司屋はすごく複雑な分割払いをしてこちらを混乱させ、いつの間にか何ヶ月分かの家賃をチャラにする。そして何故か寿司をタダで配達してくる。面倒だった。

その時は、僕はただ単におじいちゃんの代わりに家賃の受け渡しを行っていただけで、アパートの敷地に一切踏み入れてはいなかったが、橋ロシア君がやたらとアパートに興味を示してくる。彼は、ここから自転車で10数分の場所にある新築の家に親と一緒に住んでいる。にもかかわらず、「あえて風呂無しアパートで貧乏な暮らしをすることで、感性が研ぎすまされるような気がする」というようなこと口にして、このアパートに住みたいとしつこく迫ってくる。とても胡散臭いと思った。貧乏を肌で感じたことのない"上から目線"の発想が少し臭ったのだ。

僕は彼の実家にお邪魔したことがあるが、オール電化のシステムキッチンがあるリビングには60インチくらいの液晶テレビと掘りゴタツ、乗馬マシーンがあるような家で、ガレージにはトマトなんかを栽培しているような、典型的な新興住宅街で生活している。満ち足りた裕福さ故に、一人暮らしに憧れるという気持ちはわからなくもないが、親から勘当されたり、兄妹から何か言われの無いプレッシャーを受けているわけでもない。月1の割合で家族揃ってお庭でバーベキューをしていることを僕は知ってるし、彼は25歳にもなって大学生をしていて、その学費も払ってもらっている。しかし、顔を合わせる度にうっとりした表情で「寺山修司が言うには、情報を遮断し清廉潔白な生活を送ることで云々、、チェーホフ曰く土壁のアパートが創作活動に最適で云々、、」などと説教じみた話をされ、「情報に溢れたこの都会で、陸の孤島のごとく何もない場所で一人暮らしをするんだ。だから君のアパートに住ませてくれ」と言う。気持ち悪かった。

それでも、空き部屋がたくさんある状態のアパートが多少もったいないと思っていたのも事実。橋ロシア君の思想については理解できないままではあったが、良いタイミングではあった。おじいちゃんから空き部屋の鍵の在処を聞いた。実家の台所のドアノブにかかっていた袋の中にある大量の鍵の中から、空き部屋の鍵を見つけ出し、二階にある部屋の扉を開けた。もっと朽ち果てたボロい部屋を想像していたけれど、埃っぽくてカビ臭いっていうことを除けば、まだまだ現役の部屋だった。

その日から、橋ロシア君と二階の4部屋あるうちの一部屋の掃除を始め、部屋を彼が住める状態になることを目指した。全体を雑巾で拭き、畳も何回かに分けて丁寧に擦った。とにかく大変だった。橋ロシア君は作業中も、「この部屋は、創作活動にはうってつけで、何故かというと、何もないからだ。ここには生活に最低限必要なものだけを置こう」などと言っては手をとめて、住んでからのことばかりを話したがる。結局僕がほとんどやって、3日程度で終わった。その後、彼が一人暮らしに必要な物資を買うのに、ホームセンターやリサイクルショップなどを一緒に回り、畳の上に敷くゴザなんかを買った。数日後には冷蔵庫なんかも届いていて、「近くの電気屋で安く売ってた。とてもいい買い物をした」なんて意気揚々に彼は話した。

僕が住むわけではないが、ただの空き部屋が、こうして人の住む空間に変わるというのは、ちょっと嬉しい気持ちだったし、そこに時間を費やすのが楽しかったのも正直な気持ち。
冷蔵庫が搬入されたその日、彼は初めてその部屋に宿泊すると言い、布団を実家から運んできた。「今日からこの部屋で小説を書くのだ」と彼は嬉しそうに言った。


その次の日から、彼は姿を消した。


連絡も一切繋がらず、2人して作った空間には冷蔵庫と布団だけが残った。一応コンセントが差し込まれて電気の通った冷蔵庫の中には、飲みかけのファンタが1つだけ入っていたので、僕は残り全部飲んだ。


これは去年の夏のこと。
結局、その部屋にはテレビとソファーを入れて、たまに一人でテレビゲームをしたり、遠方からの友人が来た時に泊まってもらうような、中途半端な部屋として今も使われている。


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今年になって橋ロシア君が再び僕の前に現れた。
彼に居なくなった理由を尋ねると、「隣の部屋から聞こえる声が怖かった」と言った。

隣には、癇癪持ちの父親と精神障害者の母親とその娘3人が住んでいたが、確かに近所では有名な程、毎晩父親の怒鳴り声、母親の奇声、娘の鳴き声が響き渡る。
僕は橋ロシア君の部屋の改装を契機に、アパートには足しげく通うようになり、当然その問題家族とも顔を合わせていた。父親が癇癪を始めたら部屋に駆けつけて「落ち着いてくれ」と言いにいった。精神障害者の母親は、廊下でタバコを吸う僕を見つけると、「おにいちゃん、タバコちょうだい」とヨダレを垂らしながら言い寄ってくるようになった。父親の癇癪が激しい時、中学三年になる娘は屋上に逃げていると知り、一緒に屋上に行って話をした。よく見るとすごく痩せていて、栄養失調だった。

橋ロシア君は、初めて泊まったその日の夜、うす壁一枚で隔たった隣の家族の、6畳1間でギュウギュウになって生活する音、声、存在そのものを目の当たりにして、その日のうちに逃げ出したのだ。庭でトマトを栽培してるような家庭で育った彼には、全く意味不明だったのだろう。

彼がシミュレーションした、何も無いアパートで小説を書くという生活は、隣の家族の存在感が怖過ぎて実行不可能になったのだった。まさにシミュレーション倒れだ。


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実は彼が姿を消して数ヶ月してから、この家族は隣町に引っ越した。中三の娘が受験を控えてるということもあり、いくらか広い市営住宅に入れることになったと父親からは聞いた。

橋ロシア君は、その家族が居なくなったのを知り、性懲りもなくまた、アパートに住みたいと言いだした。
去年開拓した二階の部屋は、一年以上に渡って僕やその友人が使っていたので、また別の空き部屋を開拓することになった。一階にある、前の住人が夜逃げして放置されたままの部屋に興味を示した。彼は去年のように思想を語らなくなった。とにかく住みたい、とだけ言った。だから僕も何も聞かず、一緒に一階の部屋を清掃した。

2階の空き部屋とは違い、前住人の生活用品から家具まで全て置きっ放しだったので、その撤去が苦労だった。粗大ゴミの日に照準を絞って、一気に捨てた。

橋ロシア君の動きは、去年に比べて俊敏だった。拭き掃除から掃き掃除まで、何かに迫られるかのようにこなした。去年は、いかに一人暮らしが自分の将来にとって必要かという能書きを延々と垂れながらウダウダとやっていたのに、今回はとにかく早かった。

数日にして入居可能になるや、電気カーペットと布団を持ち込み、住み始めた。


毎日、年下風の女性と一緒に部屋に入り、セックスばっかりしている。
今回彼は、小説を書くのではなく、女とただただセックスするというシミュレーションをしていたのだろう。




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純粋な欲求から来るシミュレーションは、実を結ぶ。
欲求以外の、見栄や体裁を繕うためのシミュレーションは、必ずシミュレーション倒れになる。


橋ロシア君が
アパートを使ってくれてること。
僕はそれが嬉しい。



10.11.30
前田裕紀