8.18.2010

10.06.22-08.17

6月から仲間になった子猫のライム君の記録。
今月(8月)に右後足を失った。
病名すら覚えてないが、とても珍しい感染症にかかり、右足の骨がボロボロになっていたので切断。
今は3本足で元気に走りまわっている。

06.22
06.26
07.03
07.08
07.14
07.16
07.18
07.26
07.27
07.30
ソファーから落ちて足を引きずりだす。次の日に病院で診察してもらうが、骨折すら見当たらないと言われる。

08.01
別の病院で再度診察してもらうと、病気が判明。この時、切断の決意を迫られる。

08.13
約2週間の入院後、家に帰ってくる。既に足は無い。でも元気。

08.17


彼が死ぬまであと何年か。僕が死ぬまであと何年か。関わってしまった命である限り、彼の成長には執着していたい。

2010.7.25

131881530
3480196_328051955_175large
3480196_328066914_235large

遅ればせながら、先月行った「食パン少女」展について。
主催者であり今回の主役であるカメラマン木原の離れ業ともいえる宣伝活動(全国から毎日のように「友人」と名乗る人々が来場)と、メディアの力により、予想以上のたくさんの方々に見てもらえることができた。

とりわけTwitter上での拡散具合には驚いた。
最初は知り合いであったり、本当に偶然的に興味を持ってくれた一部の方々が言及してくれていて、それを僕は「ふむふむ」といやらしく目で追っていたのだけれど、一旦ニュースサイトなどで発表されてからは、もはやすべて確認できないほど多くの人が興味を示してくれていた。こんな経験は初めてで、自分が関わって制作した作品について見ず知らずの誰かのアンテナに引っかかってくれるということは、正直いって快感でしかなかった。

もう1つは、実際に見に来てくれた人の反応。それも知人友人ではなく通りすがりのヤンチャそうな男二人組の反応。
会場のドアの前でチラっと中を覗くなり「おい、やばいやばい。全部食パンくわえてるぞ、なんやねん」と大きな声で言いながら中に入ってくる。そして写真を一枚一枚見ながら、笑う。「どんだけ食パン好きやねん!」、「なんでパン減ってへんねん!」、「ずっとくわえてたらカピカピになっておいしくないやろ!」、「ほんでどこまで走るねん、怖いわ!」。受付にいる僕の存在を無視して、大声で写真に語りかける。
この瞬間が、僕にとっては期間中最大のハイライトであり、3ヶ月のめんどくさい準備の苦労が報われたような気がした。

自分が笑った部分と同じところで笑ってくれて、突っ込んでくれたということで、壮大な「いちびり」はようやく成立。
毎週土日に慣行したロケの疲労も、払った現金も、費やした時間も、停止された免許も、長く続いた不安も、全部回収。


会場設営から撤収までの現場作業や、期間中の運営や宣伝に関わってくれたすべての人に感謝。
モデルをしてくれて、ただひたすら食パンをかじって走ってくれた右近さんには僕がお金持ちになったら今回の多大なる拘束時間と心身疲労に拠る慰謝料を支払うつもり。
そして素晴らしい写真を撮り続けた木原にありがとう。すべては木原が言いだしたことが始まりで、ロケ—ションや撮影に関してもほとんど彼女が方向付けを行った。僕はただレフ板を持って立ってたのと、食パン少女に「ナイスラン!」と声をかけてただけだった。展示の構成で意見が割れた時も、譲れない部分は意地でも主張しながらも、僕の意図も理解して譲歩する余地を残せるという感性を持っていた。何より、自分の作品を形にしたいという気持ちと、これしか生きる道はないんだという明確な指針が僕にとっても刺激になったし、羨ましかった。やっぱりそこだと思う。片手間じゃないんだよ!セーフティーどこにもないんだよ!命かけてるんだよ!っていうのは、人を動かすし、形になるかならないかの決め手となる。


この先の人生に多少なりとも影響を及ぼすことにはなるとは思う、そんな数ヶ月の出来事だった。