6.30.2009

Accordion

■ 人に電話をした時、「今電車の中やから」と言うと、「すみません、後からかけ直します」となるのが、もうある種の不文律となっている。その辺をなんとかしたくて、実験的に昨日の6時、必ず電車に乗っているサラリーマンの友人に電話をした。

電話に出た友人は、やはり電車に乗っていたので、「今電車の中やから」と答えた。さも次のセンテンスである「かけ直します」を待っていたかのように。

でも僕は、少し間をあけてから声を限りに言う。
「切らんとって」。

少し通話が途切れた。雑音だけが続く。
そして少しの間を置いて、友人の声が聞こえた。「移動した、アコーディオンのとこまで」と。

たぶん連結部分のところ。普通の車両にいるよりも、電車の走る音が響く。
アコーディオンのとこはさぞかし足場が不安定だろう、お勤め後の疲れたその体で。

アコーディオンのとこまで移動する間は、携帯電話を通話状態で耳元から離し、メールを見てるふりをしていたそうだ。
僕は「ありがとう」と言って、前の日の初めての草野球でヒットを打ったこと、そして次の日は筋肉痛で体が痛いことを一方的に、いつもよりゆっくりと話した。彼が電車からおりるまで。

なぜ一方的に話したかというと、電車がトップスピードになっていたので、もはやアコーディオンのとこにいる彼の受話器は電車の走る音と風の音ばかりを拾っていたからだ。
でもなるほど、そういう意味でもアコーディオンだなぁ、と思った。


僕は、心がアッパーになって、でも何もやる気が起こらない時は、こういうことをして過ごしている。

6.24.2009

Simulation!

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6月上旬、雑誌を作った。
語呂がいいので、「月刊」という冠をつけた。だから隔月くらいの頻度で作っていくことになったし、今も次号の準備をしている。

出来上がってからは、僕が好きな本屋さんとかを中心に、そして適当に街を歩きながら委託販売の交渉をした。
一番最初に持っていったのは、神戸の頑固オヤジの店。自費出版系は連絡とか処理がめんどくさいから置かないって言われた。
でも中身を読んでもらったら、「ほな2冊だけ」って言って買ってくれた。頑固オヤジのクセに、目が優しかった。

好きじゃないけど、たまたま通りかかったハードコアなレコードショップがあって、「こんなとこで売ったらおもろいな」と思って飛び込んだら、ヒゲを中途半端に延ばした兄ちゃんが、「これジャンルは何なの?そんなもん売れるかよ」って吐き捨てるように言ってきた。その後も、「ジャンル」を聞いてくるお店は絶対置いてくれなかった。「無いです」って答えるから。ジャンルって何なのか未だにわからない。

ちょっと大きめのお店には、電話をしてからメール便で送った。
どこもちゃんと返事をしてくれたし、「おもしろいですね」って言ってくれて、いくつかのお店で取り扱ってくれることになった。

一冊300円の雑誌だから、売れてもお店に入るお金は90円。それなのに、どこの馬の骨かわからんような人間が作った雑誌をじっくり読んでくれたり、感想を言ってくれたり、お店で売ってくれたり。もう10店舗を超した。お金を出して、手続きをしたら、自動的に流通に乗せてくれて、もっとたくさんのお店で売ることはできるらしいけども、そんなんせんくて良かった。「おもろいから売ったる」って言ってくれた人に預けたいから。
ビジネスだとかマーケットだとか流通だとか、そんなんおかまい無しに、「おもろいかおもろないか」「好きか嫌いか」を価値基準にしてる人がまだまだたくさんいるんだって思えて嬉しかった。

もちろん、そんな香りを醸し出してるお店にしかアタックしなかったんだけど。
いろいろと自分なりに街歩きを続けてたから、そういう匂いも感じれるようになったのかな。



内容は、一貫してシミュレーションをするというもの。
シミュレーションっていうのは、例をあげれば、女の子と初めてデートする時の直前に、「ここでナニして、あそこでナニして、最後にナニして」って完全な主観で一旦ストーリーを作りあげてしまうようなこと。その勝手な感じというか、自分の頭の中で一旦すべて答えや結論を出してるところがおもしろい。そして、頭の中でやっちゃうことは自由だ。自由だからこそ、シミュレーションっていうのは、人類の最後の砦になるのかもしれないし、救いにすらなる。

僕のおじいちゃんは、寝たきりになった今でも、老人ホームのベッドの中で「家に帰ったら庭の掃除して、アパートをキレイにして、家を増築して、、」ってボヤボヤとシミュレーションし続けている。現実とのギャップがえらいことになってる。でもなんか無意味なことじゃないような気がして。



何しろ僕が一人で編集をしてしまっているため、親切心もくそもない、普通の商業雑誌であるような「はい、ここで笑ってください!、はい、ここがおもしろ情報です!」みたいな構成ではまったくない。読む人が自分から「おもしろポイント」を探さないといけない。
これは意図的なことではなく、もう時間と技術とセンスがそうさせてしまっている。
でもそれが人間にとって重要なことだとも思ってる。もちろん愛の無い人にとっては、鼻で笑って終わりなんだけども。


どんなことでも、鼻で笑って終わりなことなんてないんだ!
どんな生き方でも、どんな作品でも!


結果的にそういうメッセージも後付け的に加えてる。それだけポイントがブレててわかりにくい。


とはいえ、たった一人でできるはずもなく、文章を書く人、写真を撮る人、絵を書く人、きっかけを作ってくれた人、いろんな人に協力してもらっている。おじいちゃんがいた部屋を架設の編集室にして、サラリーマンやフリーターや学校の先生をやっている友人に来てもらって校正作業をしてもらった。京都大学の院生は毎日記念撮影をするというおもしろ企画を実行に移している。


次号は、「別に紙の上でやらんでもええやん」っていうことを紙の上でやってみたい。



月刊シミュレーション特別創刊号

月刊シミュレーション特別創刊号

B5版/52ページ 2009年6月15日発行 定価300円
http://yasegamans.com/

6.17.2009

Mixed Bathing World

別府に帰る。BEPPU PROJECT混浴温泉世界がもう終わってしまうから、滑り込み。以下、備忘録として。

■ 09.06.12
髪の毛が伸び過ぎている状態だったので、これでは温泉の神々に失礼だと思い、フェリーが出る一時間くらい前に普通のハサミでざくざく切った。そんなことをしていたら時間がギリギリになってしまったので、部屋着のままフェリー乗り場に行った。

フェリーの中の銭湯が好きだった。髪の毛を切った後そのままだったので、細切れの髪の毛が首筋に張り付いていたからすぐに銭湯に入った。ロッカーの前では裸でベロンベロンに酔ったオヤジ殿が「あれ〜、あれ〜」と何かを探していた。自分のロッカーを見失ってしまったのだ。もちろん、右手にはキーとロッカーの番号が書かれたタグをはめているわけなのだが、「あれ〜、あれ〜」を繰り返し、「ふ〜」と一旦イスに座ってみたりして、また「あれ〜、あれ〜」をする。ゆっくり眺めていたのだが、遂に「よしっ」言って裸のままで外に出ようとしたものだから、「何が『よしっ』やねん!」と突っ込みを入れて終了。ロッカーの場所を教えてあげて、オヤジ殿は服を着ることができた。昔はフェリーの酔っぱらいとは喧嘩をしたいた。今回は一緒にミニコントをした。オヤジ殿は何度も「ありがとなっ!」って言ってくれた。


■ 09.06.13
別府観光港に到着。とりあえず徒歩で大学時代に住んでいたマンションに向かう。二つの部屋をぶち抜いたナイスな間取りには、たぶん家族だろうか、誰かが住んでいた。向かいの公園のベンチに座ってみたりして時間を潰そうと思ったけど、時間がいっぱい戻ってきたので寂しくなってまた歩き出した。

中途半端に時間があるので、ビーチに出て少し寝る。上下関係のある後輩に迎えにきてもらうと思ったが、もう少し一人でいようと思った。ふと気がついたことがあった。まだ温泉の神々から清めの儀式を受けてないじゃないか。急いで竹瓦温泉に向かった。地元の初老男性が一人、ツーリストが二人。竹瓦温泉は熱すぎてあまり好きじゃなかったけれど、ぐったりしている初老の男性に代わり、僕がツーリストに温泉の極意を見せつけるため、そして温泉の神々から汚れきった体を清めてもらうため、「温泉→水かぶり→温泉→水かぶり」の別府式メソッドをツーリストに対してドヤ顔をしながら繰り返した。するとどうだ。軽くめまいを起してしまい、その場から動けなくなってしまった。初老の男性とともにぐったり座り込んだ。温泉の神々はやはり僕を受け入れてくれないのではないかと一気に不安になった。ここで一気に満身創痍になってこの日の街歩きに多大な支障をきたしてしまったこと、それが実は偉大なる「前フリ」だったことをその時は気付くはずもなかった。


とにもかくにも、この日で混浴温泉世界を回りきらないといけないので、アートゲートクルーズをスタートさせた。僕は別府の街をそれなりに知ってはいたので、普通のお客さんよりは土地勘的にはアドバンテージがある。だからあえて自分に強いたことは、移動の際はあまり地図を見ないこと、温泉をはしごしつつ、手ぬぐい片手に湯巡り人間のごとく街を歩くこと。

まずは別府中心市街地を制覇するべく歩き始める。だが、歩いても歩いても作品を発見することができない。何故なら僕は極度の方向音痴だからだ。一般のツーリストからのアドバンテージなんてそもそも無かったのだ。「地図を見ない」というレギュレーションもすぐに撤回した。3年も住んだ街だったのに、主要な通りの位置関係もよくわからず、でも全部見た事ある風景ばかりなもんで、なんだか不思議な気分になりつつも、何度も何度も同じ道を通りながら中心市街地でのアートゲートクルーズを楽しんだ。

インリン・オブ・ジョイトイの作品鑑賞はプラットホーム8で受付をしなければならなかった。受付をしてから鑑賞までにタイムラグがあった。おそらく学生ボランティアスタッフであろう坊主頭のゴボウ青年が、「すぐそばにある写真展で時間を潰してください」とのアナウンス。場所がわからなかったので聞いてみると、「ストリップの前です」と答える。別府にあるA級劇場という、もうすぐ潰れてしまうストリップ劇場のことだ。ちょっとそのゴボウ青年が気にかかったので、しばらく様子を伺う。結構同じように、インリンの前に写真展を見たいという人が多く、ゴボウ青年は対応に追われていた。大きな声で、「ストリップの前です!」、「ストリップの前!」、「そこ、そこ、ストリップ!」と、まだまだ青臭い顔をしたゴボウ青年の口から「ストリップ」が連呼される。概ねのお客さんは、ゴボウ青年から突如として発せられる「ストリップ」というワードを聞いて、顔を赤らめていた。これも周到に計算されたアートゲートクルーズの仕掛けの一つだったかどうかはわからないが、商店街ではゴボウ青年の「ストリップ」の声がずっと響いていた。 A級劇場にとっても最後の最後でのナイスなサプライズだったと思う。

そんなゴボウ青年は、丁寧に、そして時折タメ口になりながら、インリンの作品場所までエスコートしてくれた。今は利用していない、お茶漬け屋さんを使ってのインスタレーション(?)だ。ゴボウ青年も、何かあったらお聞きくださいと言わんばかりに僕の後ろにピッタリと張り付く。汗ばんだTシャツ、後ろから迫り来るゴボウ青年の鼻息。そしてインリン様の家屋内に響き渡る「はぁはぁ」の声。緊張しつつ眺めていると、新たに幹部風のスタッフさんが登場。ゴボウ青年に「例えば、この作品はどういうふうにお客さんに説明するわけ?」とゴボウ青年に対しての口頭試験が始まった。ゴボウ青年は「はい、テロリストだったお茶漬け屋の若女将が、、、」と緊張しながら答える。幹部スタッフは「うん。そういう解釈もあるわね。私は、、、」と続ける。なんかいよいよすげえなぁと感心した。ちなみに僕は「ただただインリンさんの声がセクシーで興奮した」という解釈。帰り際にゴボウ青年に「インリンおっぱい見えそうだったよ!」と伝えると、ちょっとモジモジしていた。

その後も中心市街地を迷いながら巡る。地図を見てもいいことにしたのだが、地図を見てもなかなか辿りつけない。僕は地図が読めない。

サルキスの作品は圧巻だった。事前に勉強していたので、水とか色とか、なんかそんなんだということは知っていたのだけれども、実際に見てみると、お椀の中にある水はすべて蒸発していて、すべてのお椀に微妙に違う色の後がついているだけだった。そして、羽虫の死骸がこびりつきまくっていた。後に聞いたところによると、最初は虫の死骸は一つ一つ処理していたが、そうすると残った色も剥がれてしまうので、そのままにしていたのだという。僕は虫がこびりついているのも悪くないなぁと思った。別に皮肉でもなんでもない。ただ思った。


中心市街地を一通り回った後のちょうどお昼時になり、数少ない別府に居残る後輩、通称「潰れアンパン」と落ち合う。一緒に観光港にバスで向かう。そこで汗だくになりながらジンミ・ユーンの作品を見る。僕が一番好きだった鉄輪の街を這って這って、這って。
ずーっと見ていた。ジンミさんもはぁはぁ言いながら這っていた。くしくも一番最後に見た映像には、なんと僕の一番の親友であり別府の英雄、今回の事務局でのメイン、通称「鼻高ボーイ」が交通整理をしている光景が写り込んでいた。ジンミさんが這っている狭い道に車が来た。おそらく「何やってんだよ、通れねぇだろうが」と言われている。「鼻高ボーイ」は必死で説得し続ける。その間もジンミさんは這う。カメラは一度空に向けられ、再び道にパンする。まだ車が後ろで待っている。後続が何台か来た。どういう風に説得してたのだろうか。でもしばらくしたら車は方向を変えた。きっと運転手さんは「鼻高ボーイ」にオルグされたんだな。
こんなことがあったんだなぁ、と。こうやって地域の人とも対話を続けながらやってきたんだなぁ、と。作品とは関係ないかもしれないけど、ちょっとこの部分も作品として見せていたのだから、必然だったのかな。


この時点でかなり消耗していた。感度ビンビンで望んでいたこともあるし、どうやら最初の竹瓦温泉での儀式中のアクシデントが効いてきたようだった。

いよいよ鉄輪に向かう。

何度も歩いた街。大阪しか知らなかった僕は、大学時代にこの街を見て以来、街そのもののおもしろさを感じれるようになった。
ただし、ここでも僕は方向感覚がまったく無く、いくつか偶然的に作品を発見しながら歩き回った。ほんとに風景に溶け込んでいるような作品も多く、地図で確かめるとどう考えてもさっき通った道にあったはずなのにと、何度も同じ道を行ったり来たりもした。一つだけ、やたらと離れたポイントにあるアデル・アブデスメッドの作品がぽつんとあった。「谷の湯」という公衆浴場がどうやら目印になっている。そこに向かうも、何故か辿りつけない。そして疲労がピークになる。ほとんど運動もしていなかったし、鉄輪に向けて体を作っておけばよかったと後悔した。何より温泉の神々から与えられた体の変調具合が著しくなってきていた。いわゆる、お風呂に入り過ぎて「湯あたり」したときの感覚。というよりも僕は竹瓦温泉で完全なる「湯あたり」していたのだけれども、意地になって探した。

もうあかんかなと思ったその時、「谷の湯」を発見。近眼で目がよく見えてなかったから、何度か通っていたにもかかわらず発見できずにいたのだ。でも作品らしきものが無いなぁと思ったら、階段をおりたところにある谷の湯の入り口付近にプレートが貼られていた。どこだどこだと思ってふと上を見上げると「EXIL」の電飾がまさに「エグザ〜イル」と言わんばかりに僕を見下ろす。そしてその「エグザ〜イル」の直後に「谷の湯」の浴室から「うぃ〜〜」というおっさんの「良い湯だな」を表す感嘆の吐息が漏れ聞こえた。どこかボタンを押したらおっさんの吐息が聞こえる仕組みなのかな、と一瞬思ってしまったが、そうではなくて偶然だ。偶然だけど、あまりにタイミングが良すぎた。湯あたりで気分が悪いけど、ここでおっさんと混浴してこそなんぼや、という気分になり、受付のババアに100円を渡した。すると「ゆっくり入っていきなよ!!」と吐き捨てるように、そして何故か懐かしさを感じさせながらババアは言った。もうどこまでが演出なのかわからない。もしかしたら竹瓦で湯あたりしたことすらも演出だったのか。フラフラになってこその、この感覚。谷の湯では感嘆の吐息を以前として吐き続けるおっさんと二人で何を話すでもなく湯船につかる。あまり入りすぎて二重の湯あたりになったら困るので、脱衣所のとこで立ったり座ったりしていた。ちなみに外からは丸見えのところだったので、何人かの作品鑑賞者にチンポコを見られた。

たぶんここが今回のハイライトだったような気がした。

鉄輪はやはり別府でこの企画が行われる意味が詰まっていたのかもしれない。
だって、温泉の二階の公民館で映像作品を見る場合でも、二階に上がる途中、丸見えの浴場から全裸のおっさんの姿がチラチラ見えるし、普通に風呂桶を持ったおっさんとも出くわして「ういっす!」なんて言われるし、そもそも道から湯気が吹き出しているし。よく知ってる僕でさえも「なんなんだよ!ここは!」という思いになってしまうくらいだから、初めて来た人はおもしろくて仕方なかったんだろうな。

直島にも行ったことがあったけど、こんな感じじゃなかった。もっと洗練されてたし、町中に点在していたとはいえ、一つ一つが「ザ・ミュージアム」っていう感じだった。そもそも直島と比較してもしゃあないんだろうな。別府でしか成立しないんだろうな、って。多少はコンセプトを自分なりに理解した上でのこの思いではあるけれども、「アート」っていうお金持ちやオシャレさんが気取って眺めるような代物ではないのは確かだった。


気がつけば湯あたりの症状が引き、例の「鼻高ボーイ」が頃合い良く呼び出してきたので、別府中心街に戻った。
数年ぶりに会った「鼻高ボーイ」は相変わらず別府の英雄だった。商店街を一緒に散歩している間も、道行く人々から声をかけられ、手を振られ。「もはや市長みたいなもんだな」とその時の僕は思ったという。それだけ真摯にコミュニケーションを続けてきたということなんだろうな。大学の頃も道行く人々から声をかけられたり手を振られていたこともあったけど、「市長」というよりもまだどちらかといえば「宗教家」のような感じだったからな。この数年で心の部分での信頼を得たというわけか。彼が地域調査と称して京都の商店街の人々から怪しまれながらアンケートを取っていた昔の姿を思い出した。


鼻高ボーイは超多忙なため事務所に帰り、代わりに来た「潰れアンパン」と合流。ちなみに事務所を訪れた時、混浴温泉世界の仕掛人である BEPPU PROJECTの恩人と再会。僕のことを覚えてくれていたし、相変わらず歳の離れた人間に対して友達のように接してくれたので、とにかく嬉しかったな。他にも恩人の方々と出会う。みんな優しかったな。


夜はタワーナイト。その前に閉館間近のストリップ・A級劇場に連れていってもらった。何度か行ったことはあったが、この日はお客さんが多く、例外なくお客さんは酔っぱらっているので、非常に荒れていた。それでも淡々と振る舞う踊り子さんに釘付けになった。

夜は更けて、タワーナイトに戻る。ちょうど山中カメラさんの別府最適音頭のパフォーマンスが始まる。これが最高に良かった!サビのメロディが泣きのメロディで、何度も何度もみんなで踊っているうちに、もはや作品という見方よりも、僕個人の別府への望郷をかき立てるだけの、小さい頃に味わった、あのキャンプファイヤーの時にお兄さんがギターをかきならし、みんなで歌い、「明日帰るんだけどもまだ帰りたくないんだよ!」っていう、その悲しい気持ちに近いような感覚になった。

結局「潰れアンパン」の家で寝たのは朝方だった。


■ 09.06.14
お昼くらいに、「潰れアンパン」の「起きてください!三沢が死にました!三沢が死にました!」というわけのわからないかけ声で起された。どうやらプロレスの三沢光晴が試合中に死んだらしい。プロレス好きの「潰れアンパン」はかなりの狼狽ぶりを見せていたが、別府に帰ってきてこんな起され方をするのはどうなんだろう、と疑問に思いながら、また街に入った。

前日はアートゲートクルーズで精一杯だったため十分に見れなかった「わくわく混浴アパートメント」にじっくり潜り込んだ。全国から若いアーティストが手弁当一つで集結し、作品を作りまくったそうだ。最終日なのにまだ制作してる人もいて、不条理を通り越した、やりたい放題の空間だった。それがしっかり成立していたのは、プロデュースした遠藤一郎さんの世界観ありきだったのかな。あんまり詳しく知らないけど、前日のタワーナイトでの遠藤一郎さんの尋常じゃないジャンプ力を見てそう思った。


続いてベップダンスの「オープンルーム」を見に中央公会堂へ。
コミュニティ・ダンスというものを初めて知った。今までコンテンポラリーダンスというものを適当に知ったふりをしていた。2006年に行われた『踊りにいくぜ』の別府公演は見なかった。
中央公会堂の中を移動しながら、部屋という部屋にダンサーが待ち構える。廊下で唐突にダンサーが現れて踊りだす。窓の外にも踊ってる人がいる。みんな別府の市民からの一般応募者の素人さん。それでも計算されつくされた構成に、お客さんは引きつけられっぱなし。コンテンポラリーダンスというものを舐めていた。めっちゃおもろいやんけ!と何度も言ってしまった。
メインの大きなホールに誘導されると、そこは客席ではなく、舞台。客席では隠れていた子供達がキャッキャ言いながら現れて、
ヤンヤヤンヤと騒ぎ立てながらこちらを見る。横にいた「潰れアンパン」は泣いていた。それが感動なのか、三沢光晴のことを思い出してなのか、定かではないのだけれども。


その後は、混浴温泉世界のフィナーレがある。「鼻高ボーイ」がスタッフ不足だというので、僕と「潰れアンパン」に協力を求めた。
最高のダンスを見た後なので断る理由もなく手伝う。そこで「鼻高ボーイ」の、遠藤一郎さんがペインティングを施した「未来へ号」と出会う。僕が大学の頃に乗り回していたスバルのサンバーと同じ型の軽のバンだった。「鼻高ボーイ」がエンジンを回すとまったく同じエンジン音だった。車のエンジン音で懐かしさを感じるなんて予想もしてなかった。「鼻高ボーイ」も得意気な顔をしていた。

フィーナーレは公会堂で行われていたのだが、僕は「チーム・鼻高ボーイ」の一員として会場から離れた駐車場に立った。一番の友達になんて酷な仕事をさせるんだと、普通の人は思うんだろうが、これは「鼻高ボーイ」の超戦略なのだ。最後の最後のフィナーレの間、ずっと駐車場には誰かが立っておかなければならない。イベントの運営をしたことがある人はわかるかもしれないが、そういったつまらない仕事をボランティアの人にやってもらうのはかなり心が痛む。それを期間中ずっと一緒にやってきたボランティアスタッフにやらせるには忍びない。かといって中心メンバーがやるのも違う。じゃあ誰がするのかと言えば、「鼻高ボーイ」に借りしかない僕がやるしかなかったんだ。一番の盛り上がりを見せるフィナーレの傍観者にもなれず、会場から離れた場所でただ立っているというのは何しろ象徴的な感じがした。もちろんめんどくかったし、何しにきたんだよという思いもあって、しかもそんなに車も来ないしそもそも人も少ないから、ちょいちょいチンポコを出してみたりしていたのだけれども、別に苦じゃないし、なんだか重要な任務だったような気もしたんだな。

思えば2006年にこの企画の構想を聞いて、そんなことが別府でできるのか!と興奮しつつ半信半疑でお手伝いをしつつ、お手伝いというよりも逆にいろんな面でお世話になったにも関わらず、それ以来別府に行く事もなく気ままに暮らしていた。そして何故か最後は見なくてはいけないと思いたってギリギリで飛び込み、「すごいすごい」と言いながら勝手に楽しませてもらった。

だから最後の場面で駐車場に立っていたのは、とても意味深いし、「鼻高ボーイ」はただ単に都合良くお願いをしただけなんだろうけど、ニクい奴だなぁと思った。


ちなみに完全な部外者である「潰れアンパン」はそんなこと関係無しに、もう一つの駐車場に立たされて、これは完全なる力関係の元で強いられた任務だったために(彼は僕と「鼻高ボーイ」からは体育会系的な上下関係を結んでいる!)、終わってからもブーブー言うもんだから、それはたぶん三沢光晴が死んだことによる多少の精神的な不安定が作用しているのだろうけども、なだめるのに時間がかかった。

その日はそんなこともあり、機嫌の悪い「潰れアンパン」を慰めるべく温泉巡りをしたり、思い出の別府美味いものを食べつつ終了。


■ 09.06.15
大阪に帰る日。もう混浴温泉世界は終了したが、もう少し鉄輪なども見ておきたかったし、思い出の温泉にもいくつか入りたかったので引き続き歩く。お昼頃には一段落した「鼻高ボーイ」と食堂で飯を食い、散歩しながら話す。ゆっくり話せたのはこの日くらいだった。何を話したかはここでは言い尽くせない。これで一応すべての別府に来た目的が果たされたという感じになった。
時間が余ったので、秘宝館にも初めて入ってみた。昔はどこの温泉地にもあったようだが、これからどんどん無くなっていきそうな気配がする中、こういう施設は残していってほしい。昔のポルノの上映があったので、延々と見てやった。セックスの最中に氷を女性の性器にいれて、自ら挿入すると何故か抜けなくなり、お医者さんが来る、という内容だった。お客さんは意外と若い女性の人とかも多く、女性の二人連れが僕の後ろで一緒にポルノを観始めた。僕は若干勃起していたので、「延々と見てやった」というよりは、挿入して抜けなくなった男優と同じく、立ち上がれなくなったために動くことができなかったのだ。


夕方になり、フェリーで帰る間際、デッキに上がると見送りに来てくれていた「鼻高ボーイ」が手を振っていた。そして別府の街からは湯気が立ちのぼっていた。山中カメラさんの別府最適温度のメロディがグルグル頭を周り、少し涙が出た、ような感じだった。
ようやく遠藤一郎さんの「未来へ!」っていうメッセージの意味がわかったような気になった。


とにもかくにも別府という街がそうさせたのか、混浴温泉世界がそうさせたのか、大学の頃の思い出がそうさせたのか、温泉に入り過ぎて頭がおかしくなっていたのか、とってもおかしな感情に脅かされてしまった。



■ 09.06.16
何事もなかったかのように大阪の地下鉄に乗る。そして当たり前にそこにいたかのように、これまた別府時代の数少ない後輩にあたる、ベトナム帰りの「ヒタヒタお化け」に出会う。「ベトナムで会社作ってますねん」とヒタヒタと話す彼は、胸元ザックリ開いたシャツを来ていて、相変わらず胡散臭かった。もしかして僕はお化けと話をしていたのかもしれないんだけど、「なんでこのタイミングで現れるかね!」と、突っ込みをいれつつ、一緒にモーニングを食べた。

6.04.2009

Adventurer

実家の庭の草木が道路にはみ出し過ぎている件で、いよいよ「自称・役所の職員」が「なんとかしてください」と直接言いにくるようになった。そしてその直後に「自称・庭師」の中年男性が「なんとかしましょうか」と直接言いにきた。どっちの男性も酒臭かったし、タイミングが不自然だった。これはおそらく、野坂昭如の「エロ事師」ならぬ「ニワ事師」が僕の周辺で暗躍してるのではないか、それはそれで胸躍らせることではないのか、と新手のやり手集団の存在に興奮しっぱなしの毎日だ。

6.01.2009

Strong style

▼ ある友人が、僕の家に来て「いのちの電話」のパンフレットを勝手に置いていった。後日、別の友人が家に来た時にそのパンフレットを発見し、「前田がやばい、いのちの電話を必要としているのか」と心配し、また後日、さらに別の友人が家に来たときにパンフレットを発見した時は「前田がやばい、いのちの電話のボランティアをやろうとしてるのか」と心配した。

▼ 誰に頼まれることもなく、ひたひたと制作を続けていた雑誌をようやく入稿することができた。上記の「いのちの電話」のパンフレットを人の家に勝手に置いていくような超一般人を徹底して調査したり、そのパンフレットを見ていろんな心配の仕方をしてくれた超一般人がキレキレの文章を執筆しているので、類い稀な超一般人スタイルのものになった。

▼ ようやく一段落つけたし、ここ数週間に渡って風呂いらずな生活を送っていたこともあって、近所の銭湯に入る。そこの目玉は「極端にぬるい温泉」で、熱いのが嫌いなことと、その誰も得をしないストロングスタイルが気に入っている。サウナ→水→ぬるいお湯→サウナという従来のルーティーンにワンクッション追加することも可能となっている。それに「水」の後の「ぬるい」が思っている以上に気持ちよく、本当の「脱力」を体験できる。今日なんて脱力の度合いが強すぎて大便を垂れそうになってしまった。