11.25.2009

Suisen

■ 最近、近くの神経科がある大きな病院の敷地内にバスケットゴールが設置してあるコートを発見し、早朝に忍び込んでトレーニングをするという日課になっている。

おそらく、リハビリなどの目的で利用されているコートだと思うが、「すべてのスポーツコートはストリートに帰すべきだ」という持論に基づいて、何の後ろめたさもなく利用させてもらっている。

というのも、近所にはバスケットボールができる市民体育館はいくつかあるが、10人以上じゃないと貸せないとか、お金がかかるとか、まったくわけのわからない理屈をこねられて拒否されるものだから(空いてるにもかかわらず)、友達の少ない人間はストリートでプレイするしかないのだ。そしてそのストリートという場所が無いのなら、ストリートという概念を無理矢理にでも広げていかないといけない。

そんなことで夏場に続き、体を動かしている。
誰かが「人間は毎日体を動かして、外に出て四季(外の景色)を感じないといけない」と言っていたが、本当にそうだなぁと感じる。
それはおいといて、バスケは5年以上まったくボールも触っていなかったしシュートも打っていなかったが、あくまで体感としてではあるが、ほとんど高校の頃にやっていた動きが自然と再生されたことには驚いた。もちろん筋肉の衰えによる持久性と瞬発性は確実に足りなくなっているが、「体の動き」がそのまま戻ってくるとは思ってもいなかったのだ。それと同時に、あんなに忌み嫌っていたバスケットボールが純粋に楽しいと思えるんだということに対しても。1人でやってるだけなんだけど。そう考えると、必ずしも学校なんていう場所で部活としてスポーツをやる必要性もなかったんじゃないかな、という考えにも至ったりもする。


■ 雑誌の編集部の1人がずっと続けている企画である「僕とアサガオの記念写真日記」をリニューアルした。今度はスイセンという花の球根の段階から記念写真を一緒に撮るという。

今回は、より視覚的に彼の成長を錯覚させるべく、横スクロールで毎日の写真を見れるようにデザインしたので、2週間くらい経ってから見るとおもしろいと思う。ページをめちゃくちゃ大きくしたのは、ある種の不快感を持って眺めてもらいたいから。

僕とスイセンの記念写真日記
僕とスイセンの記念写真日記

http://bokunoseicho.tumblr.com/

スイセンの花言葉は

うぬぼれ・我欲・自己愛・神秘(全般)/気高さ・感じやすい心・もう一度愛してほしい(黄色)/自己愛(白)/あなたを待つ・自尊・報われぬ恋(ラッパスイセン)

どの色の花が咲くのかわからないけど、どれもこの企画にはぴったりだと思う。
彼は本当に、毎日毎日ストイックに自分の写真を撮り続けている。

11.20.2009

Nakanori

今日の出来事。
ここ数週間、僕は友人の「心理学セミナー狂い」と口をきくことを許してもらえなかった。
メールを送っても、電話をしても、ずっと無視され続けていた。

きっかけは些細なことだった。ちょっとした話しの流れにのせて、僕は彼が昔付き合っていた女性をネタにした下ネタを、それも一番下品な、「オーラルセックス」を題材にした下ネタを、やってしまったのだ。

僕は我ながらの下ネタセンスに酔いしれ、ただただ光悦に浸っていたが、周囲は「心理学セミナー狂い」の狼狽ぶりに気付き、慌ただしくなっていた。もう1人の友人「空手の師匠」は必死で「口」の話題から「手」の話題へ逸らすように努力するくらい、慌ただしくなっていた。

いよいよ僕自身も、「心理学セミナー狂い」の異変に気付いたので、「空手の師匠」に仲介してもらい、謝りにいくことにした。

彼と会う前は、気の利いたギャグでも披露して、場を和ませでもしたら、なんとなくうやむやになるんじゃないかと思っていたが、いざ、自宅から出てきた彼の僕を見る目は、異常な程に尖っていた。そこで初めて、僕は本当に彼を傷つけてしまっていたのだと認識した。これが、目で殺す、というやつだ、と僕は怯えた。

「空手の師匠」は敏感に空気を察知して、「手が冷たい」とか「指が乾燥してる」というような「手」の話題を提供しようとしていたが、僕は逆効果なような気がして冷や汗をかいた。

唐突に、「心理学セミナー狂い」はこういった。「昔の僕なら、このままうやむやにして、君との付き合いを続けることもできるだろう。でも今は違う。このままではだめなんだ」と言った。

そして、彼の本気のセリフを聞いた僕は、本気で謝った。

どうやら、彼は漫画のワンピースに出てくる「ゾロ」から勇気をもらい、物事をうやむやにしない心の持ち方を手に入れたらしい。
そういえば、あの僕が殺されるかと錯覚したような、眼光の鋭さは、「ゾロ」そのものだったのだ!


そんな、今日という日は、忘れられない日になるだろう。

11.10.2009

Shinpan

幼なじみで学校の先生をやっている友人から、彼の教え子達が入っているバスケ部のコーチを探している、という話を聞く。
バスケ部の顧問は、試合の際には他の試合の審判をやらないといけないから、顧問をやりたがる先生がいないらしい。
とはいえ、名前だけの顧問をとりあえず立てておいて、部としての活動は続けられる。

問題は、その帯同審判がいないことで、その子達が公式試合に出れないということだという。
全国的にも、このケースはありがちなことで、教員以外の外部のボランティアを招いたりしているところも多いとのこと。

その話の続きとして、世間的には時間の有り余ってる僕に、「審判だけでもやりにいってくれ、何やったらコーチ的なこともしてくれ」と打診される。

情けないことに、二つ返事で快諾することができなかった。
バスケットボールは小学校から高校までやって、まったくの素人よりかはルールもわかるし、中学校と高校の時なんかはほとんどの時間を捧げてきたというのは自分でも認識してることだけど、快諾できなかった理由として、

・ブランクが長過ぎる(もうかれこれ5年以上関わっていない)
・審判は別のスキルがいる
・そんな教育の現場に2日3日風呂にも入らずの生活してる人間が入れるのか
・正直、恥ずかしい

というようなことを思い浮かべた。他にも、もっと超個人的で生々しい理由もたくさんあって本当にたくさん思い浮かんでしまって、悲しい気持ちになってしまうのだが、どこからどう説明していいかわからないので省略。

そこまで考えて、「いやいや!何を言ってるんだ自分は!」と太ももを叩いた。そんな卑屈な自分を軽蔑した。
なんや、顧問をやりたがらない教師の理屈と同じやないか!世の中の悪である「リスクマネジメント君」やないか!と。

コーチとか指導者に関しての話は、正直いって学校とか行政とかの問題だから別次元。それはそれ。僕が出来ることは少ないだろう。
そんなんではなく、試合に出たくても出れない生徒さんの問題が、試合のある日に僕が審判に行くことで解決されるんだったら、ちょっと恥をかこうが後ろ指さされようが、やったらええやないか、という話。ヘボなジャッジをして他の試合を多少乱すことになったとしても、その代わりとして生徒さん達が試合に出れて喜ぶんであれば、おつりが帰ってくるほどの重要な仕事ではないか!


僕も学校時代、課外活動が唯一の楽しみで生きてこれた人間。その機会が失われるというのが、どういうことを意味するのかよくわかる。
学校には、部活のためだけに行ってます。何も楽しいことないけど、部活だけが生き甲斐です。そんな奴らはたくさんいるだろう。
だからこそ、恥とか自信がないとかしょうもないことを理由に拒もうとした自分がちょっと情けなかった。

というわけで、どうなるかはわからないけど、出来る事だけでも貢献しようと思っています。


ほんで全国の部活顧問をしてない教職員達よ!
全員辞めてまえ!

11.09.2009

Phone

携帯をiPhoneに変えた。
母親も一緒にiPhoneにした。

iPhoneは従来の携帯電話と比べて使い方にすごい差があるので、二人でひたすら使い方を模索している。母親のようにiPhoneが「KDDI」の製品だと思ってた人はなかなか難しいから、基礎から教えないといけない。これで最近途切れがちだった親子のコミュニケーションがかなり補われた。アップルの製品には説明書がほぼ無いが、こういう意図があったんだな、実家住まいの息子の負い目を軽減するための、あえての説明書無しというわけだ。

11.08.2009

Shichirin

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毎週土曜日は、月刊シミュレーションの定例会議。
今日は特に話をすることがなく、七輪でさんまやらお肉やらを焼いて食べた。
月刊シミュレーションのスタッフの面々、そして「空手の師匠」。「心理学セミナー狂い」は心理学セミナーに行っているとのことで欠席。

七輪で焼くと、スーパーの安い食材が化けるということがわかった。
そしていつも以上に盛り上がるということもわかった。
とにかく楽しかった。

11.05.2009

Warau

昨日、お昼くらいまで寝ていた。
「空手の師匠」が何度かぼくの部屋に勝手に入ってきていたのは分かっていた。ブツブツと何事かを呟きながら、「お邪魔します」といって部屋をうろつき「また今度」といって帰っていくというパターンを何度かしていた。
全部無視して、寝たふりをしていた。
何度目かわからないが、「空手の師匠」がまた来たな、と思ったら、もうひとり「心理学セミナー狂い」も一緒に現れた。
おっと今日は平日なのに、サラリーマンの「心理学セミナー狂い」はそこいて、ただならぬ意味がそこにあるのではないかと察し、狸寝入りを中止。

3人でおいしいラーメン屋を目指す。「心理学セミナー狂い」が運転、僕は助手席、そして後部座席の「空手の師匠」は身を乗り出して僕らの顔と顔の間に、というお決まりのポジション。

「心理学セミナー狂い」が会社をサボったただならぬ意味について聞こうとしたら、「昨日も一昨日も、ずっと泣いててねぇ。ずっと、泣いててねぇ。」と1人で話しを繰り出す。あぁ、めんどくさい話になるなと思い、後部座席の「空手の師匠」がごそごそと自分の鞄を漁り始めたので、ナイスタイミング!話を逸らそうと思った僕は、「師匠、何やってるんですか!?」と話を逸らした。
すると、「空手の師匠」は、「笑おうとしてる」と一言。
彼の手元を見ると「笑える英単語」という怪しい本。

話が逸れたどころか、泣いてばかりいた「心理学セミナー狂い」が笑った!
ナイスタイミング!師匠!

悲しい時は笑えばいい、ただそれだけのことなんだ。
精神病院で地獄を見てきたという過去を持つ「空手の師匠」ならではの、現実逃避メソッド。
友達と一緒にいる時くらい、笑ってればいいじゃないか。どうせ夜になって1人になれば悲しみと向き合わないといけないんだから。そういう意味で、現実逃避をうまく日常に織り交ぜれるかどうか、そのへんが人生との付き合い方に彩りを増す。

結局、遠いところにある「おいしいラーメン屋」は閉まっていて空しい限りではあったが、「心理学セミナー狂い」が泣き続けた理由を聞くという最悪の流れだけは避けれたので、本当に良かった。