アパートの一室には、住人が5年前に失踪したままの部屋が残っている。
以前、夜中に入った時は、本当にすべての生活用品一式がその部屋に残っていて、生活感すらも感じてしまったがために「誰かいる!」という疑念に駆られ、あろうことか、「死体が見えた」という発言をしてしまい、関係者を混乱させてしまった。
先日、ちょっとした理由で改めて明るい時間帯に立ち入ったが、僕が死体だと錯覚したのは、クルンとなってる毛布だった。
でもその時もまだ恐かった。「誰もいるはずがない」という表層にある薄っぺらい現実に対して、生活の臭いに由来する「誰かがいる」という肌感覚。やっぱり直感的な方が勝ってしまうため、合理性が見いだせない。だからそれはもう恐怖になってしまう。
そして一昨日、また立ち入った。恐怖に勝てるのは慣れであったり、この場合は表層の現実が強くなることだったのだろう。カメラを構える勇気も出てきた。
ディティールを覗けば覗く程、失踪した住人の姿が浮き彫りになってくる。
夜逃げや蒸発の原因はほとんどが借金とか生活苦であるため、簡単に弄ぶことはできない。そんなことを友人に強く諭され、興味本位でこの部屋のことや住人のことをあけすけに発信するべきではないと承知の上ではあるが、こんなに心をくすぐられる空間は無いと思った。
演歌のカセット、競馬の雑誌、そしてプレイステーション。
食器とか服は荒く置かれてるけど、趣味のプラモデルはキレイに並べてある。
ちょっとプレイステーションは預かっておこうかな、と思いつつ、さすがに悪いような気がしたのでそのままにしておいた。
4.29.2009
4.23.2009
Interrupt
今日は大阪の南のほうで芸術大学の学生と込み入った話をしていた。
喫茶店の中でのことなのだが、その込み入り加減がピークに達した頃にちょっとした出来事が起こった。
ちょうど、話の中で僕が一番興奮した様子で声のトーンが高め、顔も30センチ程度前にスライドさせたとちょうどその時のこと。
左後方に座っていた青年が、僕ら2人話をしているテーブルにイスごと横付けし、テーブルをバン!と叩くなり、「とてもおもしろい話をしているとお見受けしました、僕もその話に参加させてもらってもいいですか」と血走った目をしながら語りかけてきた。
僕は東京で一度、「手相の練習をしてるんです、手相を見させてくれませんか」と可愛らしい女性に声をかけられて、喜んで手を差し出してスキンシップを堪能していたら危うくキャッチセールスの餌食になりそうになった経験がある。とある宗教の宣教師に声をかけられ、興味本位でついていっていろいろ話を聞いていたらなんだか退屈になって、でも急に帰りますという勇気もなく長い間頭を空っぽにしなければいけないという経験もあった。
なので、何かしら悪い奴(何かしらデメリットを与える奴)のパターンかな、なんて思っていたが、とにかく「会話に参加させてくれ」ということをばかりを要求してくるので、新しいメソッドだなと思った。たしかに危ない目をしていたが、それは決死の覚悟でイスを横付けした際の興奮に由来するものなのかもしれない、本気なのかもしれない、という思いがさらに芽生え、「はい、いいですよ」と答えてみた。
すると、堰を切ったように彼は自分のことを喋りだしたので、「ちょっと、ちょっと、それじゃあ違うじゃないか」ということになり、一旦横付けしたイスを元に戻してもらい、こっちの話を一旦区切りついてからにしてくださいを頼んだ。
若干左後方に戻った青年のことが気になりつつ、大事な話を終わらせてから、呼び戻した。同じようにイスを横付けして復帰してきた。話を聞くと、彼はカフェや居酒屋など、人が集まる場所に出没しては聞き耳を立て、興味のある会話があったら割り込むということを繰り返しているらしい。ほとんどが無視されるか、罵声を浴びせられるかのどちらからしいが。そして「昔は別に普通だったと思うんですよ。銭湯とかで横にいる人に声をかけたり、居酒屋とか喫茶店とかでも出会いがあったり。今が冷たすぎるんですよ」と言う。
にしても、イスをギューンと横付けしたり、バンをテーブルを叩いたりといったダイナミックな動きで来られると誰でも驚くだろうに、と思いつつも、「これがダイナミズムってやつなんだよ!」と言われてるような気もした。頭で考えてたらわからないことなんだけど、とにかく僕の心が受け入れ態勢を作ったのだから、もう彼を認めるしかなかった。これがダイナミズムなんだ!
会話に割り込む直前は、色々とシミュレーションをし、断られた場合のことももちろん計算の上で(だからすぐに店を後にするために荷物を一通り片付けてから実行するらしい)、何より直前の緊張感がたまらなく快感なのだそうだ。
普通に素性を明かし合い、各々のことを聞き合って、また会おうということで別れた。
もしかしたら、この後、巧妙な手段で僕を麻薬中毒にするかもしれないし、しつこく宗教の勧誘をしてくる可能性だってある。
その結末をシミュレーションし出すと不安になるが、少なからず、この出来事自体は、しょうもないテレビを見てるよりはすごくエキサイティングで興奮すべきものであったし、どんな胡散臭いキャッチセールスみたいな奴らよりもナイスな手法だったので、それはそれで「あっぱれ」になりそうな、そんな幻覚すら見えたので、飲み込んだ。
あんなダイナミックなコミュニケーション方法があったんだなんて僕の経験上には無かったから。
今後もこの「割り込みコミュニケーション・メソッド」は、彼が詐欺師に豹変するまではなんとかくらいついて世の中に広めていきたい。
4.21.2009
Vomit
最近は、人と会って話をすることが多い。
新宿駅で人が多すぎて、人知れず嘔吐していた頃から比べれば、大きな進歩だと思う。
といっても、1日に4人が限度ではある。
そのうちの1人が、自動車の教習所に行くエネルギーすら持たない、誰にも自分をさらけ出す事のできない人。
そのうちの1人が、無謀にも大きな夢を持って、しかもそれを曇りなき眼で語る人。
どっちにも深入りしてシンパシーを感じようと努力した結果、またもや人知れず嘔吐してしまう結果となった。
その人が背負うものを、もし自分が背負うとしたら、というシミュレーションを軽い気持ちでやってみたよう、という実験だったつもりだったが、吐いてしまった。
今まで他人に興味を持たずに生きてきたからこうなるのか、誰でもそんなものなのか。
居酒屋やレストランで、大人2人が真剣な顔で人生相談している光景をよく目にするが、彼らも人知れず嘔吐してるという可能性もあるというわけだ。よく居酒屋のトイレがゲロまみれになってることがあるが、そういうことだったんだな。
新宿駅で人が多すぎて、人知れず嘔吐していた頃から比べれば、大きな進歩だと思う。
といっても、1日に4人が限度ではある。
そのうちの1人が、自動車の教習所に行くエネルギーすら持たない、誰にも自分をさらけ出す事のできない人。
そのうちの1人が、無謀にも大きな夢を持って、しかもそれを曇りなき眼で語る人。
どっちにも深入りしてシンパシーを感じようと努力した結果、またもや人知れず嘔吐してしまう結果となった。
その人が背負うものを、もし自分が背負うとしたら、というシミュレーションを軽い気持ちでやってみたよう、という実験だったつもりだったが、吐いてしまった。
今まで他人に興味を持たずに生きてきたからこうなるのか、誰でもそんなものなのか。
居酒屋やレストランで、大人2人が真剣な顔で人生相談している光景をよく目にするが、彼らも人知れず嘔吐してるという可能性もあるというわけだ。よく居酒屋のトイレがゲロまみれになってることがあるが、そういうことだったんだな。
4.12.2009
Goma
お寺の息子に会いにいった。
ちょうど護摩とよばれる、よくわからない行事の最中だった。
山伏が集まり、煙を巻き上げ、荒々しく矢を四方に放っていた。
最後に、火渡りといって、お客さんが焼けこげた木の上を歩くという一般参加の修行が行われる。
その時、急に山伏の親方が怒鳴りだす。「お札を勝手に持っていった人は返しなさい!」周りも慌ただしくなり、ちょっとした事件のような雰囲気に。
四方に貼ってあるお札の1つを誰かが持って行ってしまったらしい。
お札が無いと火渡りで事故が起きる、というので、僕も含めて、裸足になって待機している修行予定者達は息を飲んで成り行きを見守る。
そして知らないうちにお札が戻ってきて、「よくやった!」と周りにいた檀家さん達と握手する。
その後、煙がまだ上がっている木の上をゆっくりと歩いた。たしかに熱さを感じたが、お札のおかげだろうか、火傷することなく終えることができた。
お札が無いままだったことを考えると、ぞっとした。
足の裏がまだ熱いうちに、お寺の息子に「火渡りをやってやったぜ」と報告すると、檀家でもないのにそんな勝手なことをしたら大変なことになるぞ、と真顔で言われた。
いろいろと演出しよんな、この寺は、という感想である。
4.11.2009
Smile
小学生くらいの時に覚えていることだが、家の近所には、「ニコニコおっさん」という、その名の通りニコニコしながら徘徊していた人で、とても愛嬌があって僕らの中ではちょっとしたマスコット的存在だった名物おっさんがいた。
どこの地域にも、一人や二人、名物おっさんがいたはずだ。僕らの地域の代表は間違いなく「ニコニコおっさん」だった。
ちょっと悪ぶってる友人なんかは、「ラリ夫」という名前で呼んでいたが、あんまりいい気はしなかったので、僕はずっと「ニコニコおっさん」と呼んでいた。
その頃は何も考えていなかったから、徘徊してることに対しては、何か治安を守ってるんだとおもっていたし、小さい小学生を追いかけ回しているのは、その小学生がとても悪い事をしていたからなんだと、思っていた。
高学年になり、物心がしっかりした頃は、ニコニコおっさんの優しさを悪用して、当時は入手できなかったエロ本を買いに行ってもらったりもしていた。
なぜ今になってニコニコおっさんに思いを馳せているかというと、今日たまたま駅の近くで、その本人を発見したからだ。
歩き方や姿勢ですぐに本人だとわかった。
当時のように、「ニコニコおっさん!」と呼ぼうとしたが、止めておいた。
何故なら、ニコニコおっさんがニコニコしてなかったからだ。
パッと見は、シワと顔のつくりからして笑っているような雰囲気なのだが、明らかに昔のようにニコニコしていないということが直感的に分かったし、とてもくたびれた感じになっていた。「ニコニコ見せかけおっさん」でしかなかった。
もうニコニコおっさんが小学生と戯れるようなことができないような地域に成り下がってしまったのか、だとするとニコニコする必要はない。それともおっさん自身にニコニコしてられないような、何か変革があったのか。
そんなことも考えてみたが、ニコニコおっさんがまだ近所にいるということがわかって、なんとなくホッとした。
どこの地域にも、一人や二人、名物おっさんがいたはずだ。僕らの地域の代表は間違いなく「ニコニコおっさん」だった。
ちょっと悪ぶってる友人なんかは、「ラリ夫」という名前で呼んでいたが、あんまりいい気はしなかったので、僕はずっと「ニコニコおっさん」と呼んでいた。
その頃は何も考えていなかったから、徘徊してることに対しては、何か治安を守ってるんだとおもっていたし、小さい小学生を追いかけ回しているのは、その小学生がとても悪い事をしていたからなんだと、思っていた。
高学年になり、物心がしっかりした頃は、ニコニコおっさんの優しさを悪用して、当時は入手できなかったエロ本を買いに行ってもらったりもしていた。
なぜ今になってニコニコおっさんに思いを馳せているかというと、今日たまたま駅の近くで、その本人を発見したからだ。
歩き方や姿勢ですぐに本人だとわかった。
当時のように、「ニコニコおっさん!」と呼ぼうとしたが、止めておいた。
何故なら、ニコニコおっさんがニコニコしてなかったからだ。
パッと見は、シワと顔のつくりからして笑っているような雰囲気なのだが、明らかに昔のようにニコニコしていないということが直感的に分かったし、とてもくたびれた感じになっていた。「ニコニコ見せかけおっさん」でしかなかった。
もうニコニコおっさんが小学生と戯れるようなことができないような地域に成り下がってしまったのか、だとするとニコニコする必要はない。それともおっさん自身にニコニコしてられないような、何か変革があったのか。
そんなことも考えてみたが、ニコニコおっさんがまだ近所にいるということがわかって、なんとなくホッとした。
4.01.2009
Twist
通りすがりに、身をよじらせながら携帯で電話しつつ自転車をこぐオヤジ殿。
手を離してこぐ場合は左手を。受話器は右耳。携帯を入れるポケットは左側。
そこにも矛盾を抱えながら生きる先人の姿があった。
Complex
新しい鍵っ子スタイル
これまでの鍵っ子は「首ひも・スタイル」、「玄関のそばの鉢植えやポストに隠す・スタイル」、という2つしか選択肢を与えられてなかったが、新たに「フリスク・スタイル」が登場。
運用方法はいろいろとあるが、一番のメリットは鍵っ子であることを誤摩化せるんじゃないか、というちょっとした期待を含んでいる点。
大人になって気付いたことだが、鍵っ子であることがちょっとしたコンプレックスになっている子供も多い。
また、口臭を誤摩化すためのフリスクを用いているという点も大変興味深い。
口臭にしろ、鍵っ子にしろ、あくまでも「誤摩化す」ことでしかなく、本質は何も変わっていないところがポイント。
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