10.26.2009

Utsukushi

恒例の親父たちの草野球。
高校時代の野球部エースも助っ人で登場。
そのおかげでとても締まった試合に。締まった試合というのは、エースがほとんど三振でアウトをとるため、こちらの守備機会が少なくなるから。守備機会が少ないとエラーも自然と少なくなり、グダグダ感が減ってテンポのいい試合運びになる。

相手チームのピッチャーも速い球を投げるから、僕はまったく打てなかったが、運が良くて相手のエラーやデッドボールで出塁した。出塁したらもうとにかくホームに帰ることだけを考えて走りまくる。スライディングの練習なんてしたことがないから、ベースのギリギリ近くまで全力疾走して、ベースに飛び蹴りをするように飛び込む。もっと早い段階で滑り始めないといけないらしいが、その距離感がつかめていないので、飛び蹴りのような形になってしまう。だが、これをすると味方の士気があがる。「やりよったでー」という盛り上がりが発生する。ホームに飛び蹴りで帰ってきて、ベンチの親父たちが満面の笑みで迎えてくれるのが嬉しい。まさに一塁に出た僕は、子供のいない独身親父たちが待つホームに帰る息子という構図が出来上がる。

その独身親父の中には、野球だけが生き甲斐の「野球狂」がいる。
「野球狂」というのは、野球によって本当に頭が狂っているという意味で僕は使用している。
この日の締まった試合も、ゲームセットの後に、1人の野球狂が審判に詰め寄って抗議を始めたことでぶち壊しになった。
理由はほんとに些細なことで、試合中の審判とのやり取りに納得がいかないことがあったらしく、試合終了後に煮え切らない想いを爆発させたようだ。相手チームの野球狂もここぞとばかりにしゃしゃり出て来て、日没が過ぎた真っ暗なグランドで野球狂たちの罵声が響き続けた。

試合が終わってもなお、クダを巻いて声を上げ続ける野球狂の姿は、「まだ終わりたくないんだよ!もっと野球やりたいんだよ!」という心の叫びのようにも見えた。

そんな野球狂の姿は、とても美しいと思う。
なぜか。「〜狂い」というのは、一種の妖怪のようなもので、「〜好き」の感覚を超越したこだわりポイントを自主的に作り上げている。執着心が尋常じゃなく、一般の感覚では理解できない行動をとる。そいつにしかわからないゴール地点がそこにはある。
「そいつにしかわからないゴール地点」っていう言葉はキレイゴトの類いか。いや、キレイなんて生半可なものではなく、美しい。ウツクシゴトじゃないか!

僕は何にもまだ狂っていないので、はやく狂いたい。「〜狂い」と他人から言われるようになりたい。

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